第二十番 霊鷲山 鶴林寺

諸国へ御朱印の旅

第20番札所・霊鷲山鶴林寺の御朱印

四国八十八所霊場

第20番札所・霊鷲山鶴林寺

(御本尊)地蔵菩薩
(御本尊の真言)おん、かかかび、さんまえい、そわか
(御詠歌)しげりつる、鶴の林をしるべにて、大師ぞ居ます、地蔵帝釈
(住所)徳島県勝浦郡勝浦町生名鷲ヶ尾14

延暦17年(798)桓武天皇は、当山を勅願道場として八堂伽藍を建立しました。
その後、来錫された弘法大師は、修行中に霊雲のたなびく中を雌雄二羽の白鶴が、 黄金の地蔵菩薩を互いに守護しながら老杉に舞い降りるのを見ました。
霊を感じた大師は、ただちに三尺の地蔵菩薩を刻み、その黄金仏(一寸八分)を胎内に納めて御本尊とし、 堂塔を建立しました。
寺号は鶴にちなんで鶴林寺と命名しました。
また、山号は、お寺周辺の山容が印度の鷲峰山に似ているところから霊鷲山と号し、 はるかに見える向かいの山の「太龍寺を金剛界」そして「鶴林寺を胎蔵界」の道場とされました。
さらに大師は、先に地蔵菩薩を彫られたその残木で五種の鈴を刻み、爪彫りの堅額を遺されました。
前述の御本尊降臨の杉は本堂左側にあり、大師お手植えの菩提樹もあります。
お寺は歴代皇家、武将の尊信を得、わけてもは阿波藩主は鶴林寺を祈願寺と定め、多くの山林、寺領を寄進しました。


御朱印とは

 神社・寺院に参拝した「証」として御朱印帳に神社・寺院にて頂けます。
始まりは江戸時代ごろで、寺院の参拝したときに、信者が写経した「経文」を奉納し、
参拝の「証」としてその寺院や御本尊の名称を墨書し、「宝印」を授与されるものでした。
これを「納経・朱印」と言います。今でも「納経印」、「納経印帳」、「納経所」と呼ばれることもあります。
御朱印の魅力は、ひとつひとつ手書きされ、その神社・寺院によって書かれる内容が違います。
同じ神社・寺院で書く内容が同じでも、書く人の筆さばきの違いにより、その味わいはさまざまです。
また身近に、あなたの心のエネルギーを充足してくれる神社または寺院(あなたのパワースポット)をみつけ、朔日参りまたは月参りをしてはいかがですか。
心のよりどころとしての神社・寺院には、ご自身の節目・節目のご報告をされてはいかがですか。
その参拝の「証」でもあります。


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